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2019.12.18
ブランドショップやカフェなど、おしゃれなお店が立ち並ぶ青山・表参道エリア。ファッションなど最先端のものが集まる街としても名高い場所です。一方で、江戸時代は庶民の町として広く市民から親しまれてきました。
青山はどのようにして、流行の発信地として今のブランドを築き上げてきたのでしょうか?青山・表参道の歴史をたどってみます。
まずは、「青山」という地名をみていきましょう。「青山」という地名は、江戸時代に大名を務めていた青山家の下屋敷があったことにちなんでいます。青山家は古くから徳川家に仕えており、関ヶ原の戦いののちに大名になりました。
当時の青山は、庶民の町屋や雑木林などが広がっていました。今とはまったく違った雰囲気だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、南青山二丁目から四丁目の付近には個人商店などがあり、当時の庶民的な光景が色褪せることなく残っています。
青山エリアを代表する通りである「表参道」は、1920年創建の明治神宮への参道としてつくられました。明治神宮は、国内でもっとも多くの初詣客が訪れる神社としても有名です。
明治神宮には日本一の大きさを誇る大鳥居があり、ここから南北に向かって参道が続いています。この南参道に向かう通りを「表参道」と呼び、道沿いにはケヤキ並木が整備されています。表参道のシンボルにもなっているケヤキは、第二次世界大戦後に植えられたものです。大正時代に植えられたケヤキの多くは第二次世界大戦で焼けてしまったため、戦後に改めて植えられたものが、今の時代を彩る風景の一部になっています。
青山・表参道エリアがファッションの街に姿を変えたのは、1960年代のことです。関東大震災と東京オリンピックの開催が大きく関係しています。
明治神宮創建から3年後の1923年。この年起きた関東大震災によって、都内の木造住宅が大きな被害を受けました。その後、震災の復興を支援するため、内務省によって同潤会が設立され、東京都内や近県には多くの近代的なアパートが整備されることになります。
1926年、表参道沿いに誕生した「同潤会青山アパート」もそのひとつです。鉄筋コンクリート造りで電気、ガス、水道、水洗式トイレなど、当時は珍しい機能を持った最新鋭のアパートでした。その新しい技術が大いに注目を集めたのはいうまでもありません。
同潤会青山アパートはその後、所有と管理が移り替わり、個人の所有となった1960年以降、ブティックやギャラリーとして利用されるようになります。これが表参道地区が現在のようなファッションの中心地として発展するきっかけになりました。同潤会青山アパートは老朽化のため2003年に解体され、跡地に表参道ヒルズが誕生しました。
そしてもうひとつ、東京オリンピックの開催も青山エリアの変成に関係しています。
第二次世界大戦後、現在の代々木公園あたりにGHQ(日本が第二次世界大戦で敗戦後に日本を占領したアメリカの最高司令部)の軍用地であるワシントンハイツが建ちました。これによって、アメリカ人向けのお店が表参道や青山周辺にたくさん出店されることになりました。
さらに、1964年に開催された東京オリンピックが拍車をかけるように、青山・表参道エリアにはさまざまな建物が建ちます。ワシントンハイツの跡地には国立競技場が建設され、選手村もできました。こうして、海外のファッションや食などの文化が青山の地に舞い込んでくることになります。また、東京オリンピックをきっかけに青山通りの道幅を22メートルから40メートルに拡張したことも街が生まれ変わったきっかけになりました。
1960年以降、東京オリンピックなどの影響を受けて異国の風が流れるようになった青山の街。この街の魅力にいち早く気づいた人物が、メンズファッションの草分けとして知られるデザイナーの石津謙介氏です。
石津氏は、この青山の地に魅力を感じ、紳士服の会社「VANヂャケット」の本社を移しました。「流行は高い場所から低い場所に流れる」といっていた石津氏の考えと、渋谷や原宿に比べて一段高い場所にある青山の立地が結びついたことも大きいといわれています。
当時、オシャレの最先端をいっていた「VANヂャケット」が青山にやってきたことをきっかけに、コシノジュンコ氏や三宅一生氏も、次々と青山にお店を開きました。以降、「青山=ファッションの街」としてブランドが確立され、この地でお店を持つことがデザイナーの目標にもなります。
70年代には、「NICOL」「BIGI」「コム・デ・ギャルソン」「パレフランス」「ラフォーレ原宿」、80年代には「ヨージヤマモト」「アニエスベー青山店」「ラルフローレン」「スパイラル」などのショップやファッションビルが次々とオープンしました。これらの建物は有名建築家による個性的かつ洗練された外観をしており、ファッショナブルな街に一層の彩りを与えることになりました。
バブル経済を経て都市が成熟すると、「ディオール」「グッチ」「ルイ・ヴィトン」などの高級ブランドも立ち並ぶようになります。
メインストリートである青山通りを中心に交差する表参道、みゆき通りには海外の高級ブランド店や個性的なセレクトショップが集まっています。日本を代表するファッションやトレンドの情報発信地に相応しく、洗練された街として統一感がある青山。
一方で、たった10分ほどいけば、国立競技場や神宮球場、聖徳記念絵画館、明治神宮外苑があります。ドラマや映画のロケ地としても広く知られる銀杏並木には、散歩やジョギングをしている人の姿も多く、憩いの場として人々に親しまれています。
まさに、最先端と自然が融合する街、青山エリア。この保たれたバランスが人気の所以なのかもしれません。
青山でおすすめのエリアをご紹介します。どれも既に有名な場所ですが、歴史の流れを感じることで、新たな魅力に気づくことでしょう。
・青山ツインビル
「青山一丁目」駅前にある地上23階、地下4階建ての2棟からなる高層ビルです。高層階にはオフィスが入っています。
地下1階~地上3階にはファッション、雑貨、グルメ、クリニックなどのバラエティ豊かな店舗が揃っています。
・骨董通り
青山五丁目の交差点から高樹町に至る約1kmにおよぶ通りが骨董通りです。正式には南町通りといい、骨董品店で賑わっていたかつての愛称が現在にも受け継がれています。
今では骨董品店の姿は少なくなり、高級ブティックやレストラン、おしゃれなカフェなどが新しい街のシンボルになっています。
・みゆき通り
骨董通りに隣り合う道がみゆき通りです。表参道の交差点から根津美術館へと続いており、ハイブランドショップや、目を引くような外観のお店など、歩くだけでも十分楽しめる通りです。
・根津美術館
鉄道王とよばれた実業家、根津嘉一郎氏のコレクションを保存・展示するために建てられた美術館です。国宝や重要文化財をふくむ7,400点以上もの作品が収蔵されています。書籍、絵画、彫刻、陶磁、漆工といったカテゴリーも幅広く、貴重な作品に出会える可能性があります。
賑やかな大通りから一歩路地に足を踏み入れると日常の生活が息づく閑静な住宅地が広がっています。大通りの先進的な街並みとは対照的に、昔ながらの面影も感じられる落ち着いた雰囲気です。戸建住宅やマンションなどが立ち並び、住宅地としての人気の高さを物語っています。
青山周辺はスーパーなどの買い物スポットも夜遅くまで営業しているため、忙しい人がライフスタイルの拠点をおくには最適な場所だといえます。また、緑やアートを間近に感じられることから、休日も充実した時間を過ごせるでしょう。
1991年に明治神宮入口から青山通りまでの1kmのケヤキ並木イルミネーションが開始されました。しかし交通渋滞やごみ問題等で、1998年に中止となりました。
その後、2001年に「光のオブジェ」、2006年に「表参道akarium」という代替イベントに代わり、その後2009年に「表参道H.I.S.イルミネーション ベルシンフォニー」として復活しました。
翌2010年には「表参道イルミネーション2010」の名称で実施されました。
2021年も12月1日から12月26日まで実施されています。
mitainaでは表参道・青山エリアの人気の高級中古マンションやリノベーションマンションを掲載しています。
是非ご参考にしてください。
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